太宰と弟子たち 展示資料紹介(その1)

  • 掲載日2020年6月10日

三鷹図書館(本館)2階展示コーナーで開催予定だった企画展示の一部をウェブ公開します。
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ごあいさつ

太宰治は、1939(昭和14)年から1948(昭和23)年まで三鷹で暮らし、1948年6月13日に愛人の山崎富栄とともに玉川上水に身を投げ、その生涯を閉じました。遺体が発見された6月19日は、奇しくも太宰の誕生日でもあったことから、「桜桃忌」と命名されました。以来「桜桃忌」には、生前親交のあった人たちやファンなど数多くの人々が、禅林寺にある太宰の墓前を訪れるようになりました。
三鷹に在住していた頃、太宰のもとには、弟子や友人たちがしばしば訪れました。そのため、自宅や行きつけの飲み屋などは、さながら文学サロンのような活況でした。太宰は、弟子たちの作品を批評し、出版社に紹介するなど親身に接し、慕われていました。同時に、彼らの存在は太宰にインスピレーションを与えたようで、多くの作品の題材にもなりました。

小山清と太宰

小山清(1911(明治44)年生、1965(昭和40)年没)

小山清は東京生まれで、1940年から新聞配達業の傍ら、作品を手にしばしば太宰宅を訪れました。1945年に東京大空襲で家を失うと、1947年までの間太宰宅に居候していました。その後、夕張炭鉱の坑夫となりますが、心臓病になり金銭的に困窮します。また、この頃から、太宰の世話により原稿が雑誌に掲載されるようになります。太宰の死後は、帰京して職業作家になりました。1958年には失語症となり、その4年後には妻が自殺。失意の中、1965年急性心不全で逝去しました。

小山清著『幸福論』(1955年・筑摩書房)

幸福論

幸福論奥付

小山清著『二人の友』(1965年・審美社)

二人の友

『幸福論』『二人の友』ともに、妻のこと、自身のこと、師太宰治のことなどについて書かれた随筆集です。

田中英光と太宰

田中英光(1913(大正2)年生、1949(昭和24)年没)

東京生まれ。当時としては珍しい180センチメートルの偉丈夫で、早稲田大学時代にはボート競技でオリンピックに出場したスポーツマンでもありました。
太宰との縁は、1935年、船橋に住んでいた太宰のもとを同人雑誌「非望」の同人4人が訪れたことから始まります。彼らが持参した「非望」第5号を太宰が読み、その中にあった英光の「空吹く風」という作品に感銘を受け、朝鮮にいた英光のもとへ太宰が葉書を送りました。翌1936年から2度にわたる召集を受け、英光は中国戦線に従軍します。その間も太宰に原稿を送り、批評と発表先をたのみ続けました。

2人が対面したのは1940年のことで、田中はその際「オリンポスの果実」の原稿を携えて三鷹の太宰宅へ向かいました。1947年には山崎敬子と恋に落ち、愛人関係となりますが、家庭生活との板挟みに悩むようになります。1948年の太宰の死に衝撃を受け、またその前後より睡眠薬中毒に苦しみます。1949年には入院。退院直後の1949年5月敬子を刺し、スキャンダル作家として、作品に対しても世間から冷たい目を向けられるようになります。同年11月3日、師太宰の墓前で睡眠薬を大量服用し、自死を遂げました。

「もの思ふ葦(その一) ふたたび書簡のこと 追記」(『太宰治全集第10巻』より)

「出方名英光の「空吹く風」は、見どころある作品なり。(後略)」とあり、太宰が英光を高く評価したことがわかります。

もの思ふ葦

太宰治全集

オリンポスの果実(1940年・高山書院)

自身がロサンゼルス五輪にボート選手として参加した際、走高跳の女子選手に抱いた淡い思慕を回想した作品。青春文学の傑作と評され、池谷賞を受賞しました。元々は「杏の実」というタイトルだったのを、太宰が改めたエピソードも有名です。

オリンポス表紙

オリンポス標題紙

この本の前書きは、太宰によって書かれました。

前書き

オリンポス奥付

田中英光著、西村賢太編『田中英光傑作選』(2015年・KADOKAWA)

英光傑作選

(関連)西重義他編『炎の人鈴木平三郎』(1991年・三鷹婦人会館)

禅林寺からの急報を聞き、新潮社編集部の野平健一とともに英光が倒れている現場に駆け付けたのが、当時鈴木産婦人科医院の院長だった鈴木平三郎でした。鈴木平三郎は後に3代目三鷹市長となり、下水道100%達成、コミュニティ・センターの設立など全国に先駆けた取り組みをおこないました。そんな鈴木平三郎の評伝も、三鷹市立図書館で読むことができます。

炎の人

(関連)太宰治著『桜桃』(1948年・実業之日本社)

この中に収録されている「女類」という一編は、太宰を担当した編集者であり愛読者でもあった前述の野平健一と、房子夫人との馴れ初めをモデルに執筆された作品です。房子夫人が出産で入院し、野平も付き添いで鈴木医院に滞在中、田中英光の服毒自殺事件の報せが入りました。

桜桃

桜桃(標題紙)

桜桃(横)

女類

女類(中)

次回は、「展示資料紹介2」を公開予定です。

参考文献