三鷹市に関するレファレンス事例集(歴史)

  • 歴史
  • 掲載日2015年7月2日
三鷹市に関するレファレンス事例集(歴史)
No. 三鷹市に関するレファレンス 回答 本館資料室所蔵の主な参考資料

1

三鷹の名の由来について

「三鷹」という名称ができたのは明治22(1889)年、上連雀、下連雀、井口新田、深大寺新田、大沢、野崎、新川、中仙川、北野、牟礼の10カ村の合併により三鷹村が成立した。命名については諸説あるが、現在定説となっているのは「3領説」。これは前述の10カ村が江戸時代に世田谷領、野方領、府中領の3領にまたがる鷹場の村であったというもの。

『三鷹市史 補・資料編』(三鷹市 2000)L213.6 100 P.724~725資料コード:0113730295『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.423資料コード:0119057560『広報みたか縮刷版No.16』(三鷹市 2001)L318 100 P.3資料コード:0113729230『多摩の地名』(武蔵野市郷土史刊行会 1979)L291 020 P.283~284資料コード:0110156320

2

三鷹市内の地名の由来を知りたい

三鷹の地名のほとんどは、江戸初期に成立した牟礼村・大沢村・中仙川などと、それ以後に開発された連雀村(下連雀)・連雀村新田(上連雀)・井口新田・深大寺新田・野崎村など、江戸中期にかけて成立した村々の小名、字や地元の通称名として付けられた。

『三鷹市史 補・資料編』(三鷹市 2000)L213.6 100 P.741~758資料コード:0113730295『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.243~272資料コード:0119057560『広報みたか縮刷版No.16』(三鷹市 2001)L318 100 P.2~3資料コード:0113729230『新編武蔵風土記稿第6巻 大日本地誌大系』(雄山閣出版 1996)L291 100 P.338~340、344~346、349~350資料コード:0119047827『多摩の地名』(武蔵野市郷土史刊行会 1979)L291 020 P.287~303資料コード:0110156320

3

三鷹市の古い地図を見たい

古い一般図は明治以降、住宅地図は昭和47(1972)年から現在まで(昭和41・42・46年は『三鷹市商工住宅名鑑』、以降は『ゼンリン住宅地図』)閲覧できる。

『明治前期・昭和前期東京都市地図 2 東京北部』(柏書房 1996)L291 000 P.34~39、154~163資料コード:0113170682『東京都地図地名総覧 1991』(人文社 1991)L291 010 P.26資料コード:0112049473『多摩地形図 -1942(昭和17)-44(同19)年-』(之潮 2004)L454.9 020 P.20~21(仙川)資料コード:0113689038『明治・大正・昭和 東京1万分1地形図集成』(柏書房 1983)L291 000 P.94資料コード:0110454717『明治前期関東平野地誌図集成-1880(明治13)年~1886(明治19)年-』(柏書房 1989)L291 010 P.143資料コード:0112879317『幕末 明治日本国勢地図 新版-輯製二十万分一図集成-』(柏書房 1983)R291 P.72(東京)資料コード:0110460367『東京都地図要覧 (昭和42年度新版)』(国際地学協会 1967)L291 010 P.32図資料コード:0110983327

4

万助橋について知りたい

吉祥寺通りの玉川上水にかかる橋。名の由来は下連雀の旧家・渡辺家の世襲の名から付けられた。

『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100 P.62資料コード:0113835656『三鷹の民俗 6-下連雀-』(三鷹市教育委員会 1985)L382 100 P.10・24資料コード:0110190832『三鷹市史 補・資料編』(三鷹市 2000)L213.6 100 P.765~770資料コード:0113730295『広報みたか縮刷版No.12』(三鷹市 1994)L318.0 100 P.382資料コード:0113729305

5

丸池の里について知りたい

かつて仙川流域(新川)の湧水池「丸池」は千釜とも呼ばれ、釜の形ように川床に大きな湧水の吹き出し口があった。一度埋め立てられたが、市の「緑と水の回遊ルート整備計画」により「丸池の里」として整備された。

『緑と水の公園都市をめざして-緑と水の回遊ルート整備計画-』(三鷹市 1994)L519 100資料コード:0113688279『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100 P.110資料コード:0113835656『写真集 みたかの今昔』(三鷹市教育委員会 2000)L213.6 100 P.14~15資料コード:0113730485『三鷹が創る「自治体新時代」』L318.2 100 P.172~187資料コード:0113960611『三鷹市史史料集 第四集』(三鷹市史編纂委員会 1970)L213 100 P.46資料コード:0110182003

6

井の頭恩賜公園について知りたい

大正2(1913)年、皇室御料地から東京市に下賜され、大正6(1917)年に恩賜公園となり、日本初の郊外公園として一般公開された。多数の三鷹市指定文化財も点在している。

『井の頭公園』(郷学舎 1980)L629 100資料コード:0111423745『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100 P.56~58資料コード:0113835656『三鷹の民俗7-井の頭-』(三鷹市教育委員会 1985)L382 100 P.8~16資料コード:0110190865『グラフ みたか VOL.9』(三鷹市 1996)L318 100資料コード:0113860639『写真集 みたかの今昔』(三鷹市教育委員会 2000)L213 100 P.171~177資料コード:0113730485『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.450資料コード:0119057560『井の頭公園-まるごとガイドブック-』(ぶんしん出版 2008)L291.3 100資料コード:0113837280『新版 江戸名所図会 中巻』(角川書店 1975)L291 000 P.549~553資料コード:01104

7

三鷹の遺跡について知りたい

三鷹市内には、旧石器、縄文時代の遺跡などが分布している。出山横穴墓群(大沢)・井の頭遺跡群(井の頭)・天文台構内古墳(大沢)等。

『三鷹市史 補・資料編』(三鷹市 2000)L213.6 100 P.821~845資料コード:0113730295『三鷹を考える基礎用語事典 市政概要2007』(三鷹市 2007)L318 100 P.166~171資料コード:0113726939『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100資料コード:0113835656『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.93~205、380資料コード:0119057560『三鷹市教育史 通史編』(三鷹市教育委員会 1993)L372 100 P.690~691資料コード:0112228895『三鷹市域の遺跡』(三鷹市教育委員会 1990)L210.2 100資料コード:0111986758

8

御鷹場について知りたい

江戸時代、幕府は狩猟を行う鷹狩りのため、江戸城を中心に五里(20km)以内の村々を鷹場とした。三鷹の地は、上連雀・野崎・大沢から東は幕府の鷹場であり、西の井口・野崎・深大寺・大沢は尾張徳川家の鷹場であった。村々には境界を示す石碑が建てられ、三鷹市内には4本が現存している。

『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック-』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100 P.51~52資料コード:0113835656『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.301~308・382資料コード:0119057560『みたかの石造物-三鷹市内石造物調査報告書-』(三鷹市教育委員会 1996)L714 100 P.1・211・213~214・217・227・234資料コード:0113835664『三鷹市農業協同組合史』(三鷹市農業協同組合 1998)L611 100 P.97~104資料コード:0119049120『御鷹場』(埼玉新聞社 1981)L213 000資料コード:0110453347『三鷹の歴史』(ハタヤ書店 2006)L213.6 100 P.21~28資料コード:0114846454『多摩のあゆみ 第50号』(多摩中央信用金庫 1988)L213.6 000資料コード:0113841472『多摩のあゆみ 第51号』(多摩中央信用金庫 1988)L213.6 000資料コード:0113841464

9

麻生屋敷について知りたい

三鷹市中原にある中原遺跡は、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に記された中世末期の武家の「麻生屋敷」もしくは、江戸時代の「陣屋」跡ではないかと言われている。

『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック-』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100 P.103 資料コード:0113841381 『郷土中仙川』(郷土中仙川作成委員会 1982)L213 100 P.97 資料コード:0110455334 『三鷹市史 補・資料編』(三鷹市 2000)L213.6 100 P.845 資料コード:0113730295 『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.251 資料コード:0119057560 『新編武蔵風土記稿 第5巻 大日本地誌大系』(雄山閣出版 1996)L291 100 P.32 資料コード:0119047819

10

日本無線について知りたい

昭和24(1949)年日本無線株式会社設立(母体となる「匿名組合日本無線電信機製造所」は大正4(1915)年設立)。昭和12(1937)年に現在の三鷹市下連雀に本社工場が完成する。終戦後、民需転換の申請をし、昭和21(1946)年国民生活に必要不可欠だとの理由から無線機の生産許可が下りる。現在は、無線通信機器、半導体・マイクロ波管などの事業を展開している。

『五十五年の歩み』(日本無線 1971)L547 100 資料コード:0110174695 『三鷹駅前60年史』(三鷹駅前銀座商店会 1989)L213 100 p.29 資料コード:0119038537 『グラフ みたか VOL.1~10』(三鷹市 1995)L318 100 Vol.8 P.6~7 資料コード:0119039709 『三鷹工業誌上展 ’64』(三鷹商工会製造業部会 1964)L509 P.88 資料コード:0110177094

11

中島飛行機について知りたい

中島飛行機は戦前、国内最大級の航空機企業で、昭和13 (1938)年には三鷹駅北部の武蔵野町(当時)に大規模な軍需工場を開設した。そして、昭和16(1941)年に、三鷹町大沢に三鷹研究所を開設し、先進技術の総合的な研究機関とする計画が立てられたが、やがて終戦となる。戦後、三鷹研究所跡地の広大な用地に、現在の国際基督教大学や富士重工(株)三鷹事業所が建てられた。

『中島飛行機の研究』(日本経済評論社 1988)L538 216 資料コード:0113346373 『富士重工業三十年史』(富士重工業 1984)L530 100 P.1~52 資料コード:0112737762 『中島戦闘機設計者の回想』(光人社 1999)L538 216 資料コード:0119049377 『いま語り伝えたいこと-三鷹戦時下の体験-』(三鷹市 1986)L916 100 P.157・223~227・232~239・255~258・他資料コード:0110195542 『西三鷹むかしむかし』(井口地区住民協議会 1983)L213 100 P.32・37~38・156~187 資料コード:0110184629 『グラフ みたか VOL.1~10』(三鷹市 1995)L318 100 Vol.8 P.2~17 資料コード:0119039709 『国際基督教大学創立史』(国際基督教大学 1990)L377 100 P.272(写真4p目) 資料コード:0111988614 『多摩のあゆみ 第77号-第80号』(たましん地域文化財団 1995)L213 020 第79号P.2~18 資料コード:0119038420 『多摩のあゆみ 第91号-第100号』(たましん地域文化財団 1998)L213 020 第91号P.56~69 資料コード:0113676530

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富士重工について知りたい

富士重工(株)東京事業所(三鷹市大沢)の前身は、中島飛行機であった。戦後の財閥解体により昭和28(1953)年に富士重工業を創立。昭和33(1958)年発表の軽自動車「スバル360」等により、スバルブランドを確立するなど、自動車を中心とする総合輸送機器メーカーとして発展。

『富士重工業三十年史』(富士重工業 1984)L530 100 資料コード:0112737762 『てんとう虫が走った日-スバル360開発物語-』(グランプリ出版 1987)L537 100 資料コード:0111730479 『富士重工業技術人間史-スバルを生んだ技術者たち-』(三樹書房 2005)L537.9 100 資料コード:0114734502 『富士重工業50年史 資料集』(富士重工業 2004)L530 100 資料コード:0113689533 『富士重工業50年史 1953-2003 六連星はかがやく』(富士重工業 2004)L530 100 資料コード:0113689525

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三鷹市内戦没記念碑について知りたい

三鷹市内には、明治の近代国家建設以降の戦争における「日露戦役記念碑」(下連雀の八幡神社、明治42(1909)年)や、「三鷹市戦没者慰霊碑」(下連雀の禅林寺、昭和29(1954)年)などの記念碑が建立されている。

『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.440・628資料コード:0119057560『みたかの石造物-三鷹市内石造物調査報告書』(三鷹市教育委員会 1996)L714 100 P.13~14、22~23、34、40~42、48、70、119、125、132、138、146、161、176、186、資料コード:0113835664                       194、197、202、211、219、228、243『郷土中仙川』(郷土中仙川作成委員会 1982)L213 100 P.79資料コード:0110455334『三鷹市史 通史編』(三鷹市 2001)L213 100 P.76資料コード:0113676324

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三鷹事件について知りたい。また、慰霊碑について知りたい

昭和24(1949)年7月15日、三鷹駅構内の無人電車が暴走し死傷者を出した大惨事。慰霊碑は昭和30(1955)年9月、下連雀の禅林寺に建てられた。

『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.620~627資料コード:0119057560『三鷹市史 通史編』(三鷹市 2001)L213.6 100 P.177~178資料コード:0113676324『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100 P.35資料コード:0113835656『三鷹駅前60年史』(三鷹駅前銀座商店会 1989)L213 100 P.33、78~79資料コード:0119038537『みたかの昔-写真集-』(三鷹市教育委員会 1990)L213 100 P.163資料コード:0111987178『グラフ みたか VOL.12』(三鷹市 1999)L318 100 P.9資料コード:0113860662『三鷹の民俗 6-下連雀-』(三鷹市教育委員会 1985)L382 100 P.138~140資料コード:0110190832『みたかの石造物-三鷹市内石造物調査報告書-』(三鷹市教育委員会 1996)L714 100 P.3、31資料コード:0113835664