中島飛行機について知りたい
- 歴史
- 掲載日2015年7月7日
質問内容
中島飛行機について知りたい
回答
中島飛行機は戦前、国内最大級の航空機企業で、昭和13(1938)年には三鷹駅北部の武蔵野町(当時)に大規模な軍需工場を開設した。そして、昭和16(1941)年に、三鷹町大沢に三鷹研究所を開設し、先進技術の総合的な研究機関とする計画が立てられたが、やがて終戦となる。戦後、三鷹研究所跡地の広大な用地に、現在の国際基督教大学や富士重工(株)三鷹事業所が建てられた。
本館資料室所蔵の主な参考資料
- 『中島飛行機の研究』(日本経済評論社 1988)L538 216
資料コード:0113346373 - 『富士重工業三十年史』(富士重工業 1984)L530 100 P.1~52
資料コード:0112737762 - 『中島戦闘機設計者の回想』(光人社 1999)L538 216
資料コード:0119049377 - 『いま語り伝えたいこと-三鷹戦時下の体験-』(三鷹市 1986)L916 100 P.157・223~227・232~239・255~258・他
資料コード:0110195542 - 『西三鷹むかしむかし』(井口地区住民協議会 1983)L213 100 P.32・37~38・156~187
資料コード:0110184629 - 『グラフ みたか VOL.1~10』(三鷹市 1995)L318 100 Vol.8 P.2~17
資料コード:0119039709 - 『国際基督教大学創立史』(国際基督教大学 1990)L377 100 P.272(写真4p目)
資料コード:0111988614 - 『多摩のあゆみ 第77号-第80号』(たましん地域文化財団 1995)L213 020 第79号P.2~18
資料コード:0119038420 - 『多摩のあゆみ 第91号-第100号』(たましん地域文化財団 1998)L213 020 第91号P.56~69
資料コード:0113676530