御鷹場について知りたい
- 歴史
- 掲載日2015年7月4日
質問内容
御鷹場について知りたい
回答
江戸時代、幕府は狩猟を行う鷹狩りのため、江戸城を中心に五里(20km)以内の村々を鷹場とした。三鷹の地は、上連雀・野崎・大沢から東は幕府の鷹場であり、西の井口・野崎・深大寺・大沢は尾張徳川家の鷹場であった。村々には境界を示す石碑が建てられ、三鷹市内には4本が現存している。
本館資料室所蔵の主な参考資料
- 『てくてく・みたか 第3版-市内歴史散歩 新ガイドブック-』(三鷹市教育委員会 2007)L213.6 100 P.51~52
資料コード:0113835656 - 『三鷹市史』(三鷹市 1970)L213.6 100 P.301~308・382
資料コード:0119057560 - 『みたかの石造物-三鷹市内石造物調査報告書-』(三鷹市教育委員会 1996)L714 100 P.1・211・213~214・217・227・234
資料コード:0113835664 - 『三鷹市農業協同組合史』(三鷹市農業協同組合 1998)L611 100 P.97~104
資料コード:0119049120 - 『御鷹場』(埼玉新聞社 1981)L213 000
資料コード:0110453347 - 『三鷹の歴史』(ハタヤ書店 2006)L213.6 100 P.21~28
資料コード:0114846454 - 『多摩のあゆみ 第50号』(多摩中央信用金庫 1988)L213.6 000
資料コード:0113841472 - 『多摩のあゆみ 第51号』(多摩中央信用金庫 1988)L213.6 000
資料コード:0113841464